概要
ロシアの侵攻を受けたウクライナから3月、旭川市に避難してきた男性。孫娘らと暮らす新たな住まいが公開されました。
新たな住まいに笑顔を浮かべる降籏英捷さん(ふりはた・ひでかつ、78)。
旭川市と北海道の支援で4月8日に引き渡された3LDKの道営住宅には、冷蔵庫や電子レンジのほかベットも。
旭川市の社会福祉協議会が無償で貸与してくれたり、支援者から提供がありました。
「畳、気持ちいいでしょ」
ウクライナから避難 降籏 英捷さん:「こんなすてきな住宅で暮らせるとは思っていませんでした」
降籏さんは、第二次世界大戦後、旧樺太・現在のサハリンから日本に引き揚げることができず、残留を余儀なくされました。
その後、妻の故郷であるウクライナへ。50年以上、ウクライナで暮らしていましたが孫娘らと3月、妹が暮らす旭川市に避難してきました。
2度の戦火に翻弄された降籏さん。今後については身内のそばにいて、日本に永住したいと考えているということです。
今は妹の自宅に身を寄せている降籏さん。準備が整い次第、孫娘らと4人で新居で暮らし始める予定です。
コメント
今まで辛かった事がたくさんあったでしょうね。せめて日本で穏やかな生活ができますように。どうか身体に気をつけて下さい。
そうなんですね。
日本で暮らすほうが安心できると思うし、孫娘らとも一緒に居れると考えると良いと思います。
ぜひ、こういう人を支援してほしいですね。
20歳まで普通に日本語を話すことができた人でも、50年以上にわたり母語から離れると、話すことができなくなるんだね
時の経過ってすごい…
祖国である日本で今度こそ、ゆっくり最後まで過ごしていただきたいです。。
降籏さん78歳ってことは1歳とか2歳くらいのときにはもうロシア語圏で育ってたわけか。
そこから日本に帰らずってなるとロシア語、ウクライナ語が母国語になりますね。
何はともあれ無事に日本に避難できてよかった。ゆっくり疲れを癒やしてほしいです。
永住したいと思えてくれる環境で良かったです。
ウクライナと日本に栄光を!
時代に翻弄されながらも歯を食いしばり必死に生き抜いてきた人生。こういう人を我々は見習っていきたい。
すごい壮絶…静かに暮らせますように
私では何も出来ないので支援してくれた人々に感謝します。辛い経験でしたね 穏やかに生活して下さい
この人も、筆舌に尽くしがたい程の波乱の人生だったんだろうねぇ~ ご苦労様。
ご本人の希望に沿うような今後の生活にしてあげたいですね。 日本で骨を埋めたいならそれもいいと思いますよ。
戦争に翻弄されすぎだ。
しっかりどっしりサポートしてあげてほしい
言葉で表現できないほど大変だったと思いますし、降籏さんは祖国日本の事を思い葛藤の日々は数えきれない程あった事でしょう…政府には出来る限りのサポートをしてほしいし、これからは日本で静かに余生を過ごしてほしいと願うばかりです。
当初はウクライナに戻りたいと仰っていたはずですが、日本で暮らす方が安心できますよね
祖国日本を満喫してくださいませ ウクライナに勝利と栄光を!
お帰りなさい。早く穏やかな暮らしができますように。
大変な人生を歩いて穏やかに暮らせる年齢のアクシデントたまらないしかし、日本に帰国できたのだから
頑張って暮らして下さい。
お疲れ様でしたです。
すごい人生だな。幸せに穏やかに暮らして欲しい
人生で2度も戦争経験するなんて大変だな…
これまでご苦労されてきた分、これからは心穏やかに過ごせるよう願っています
これ以上ご苦労することはないです。